[ほぼ定期]顔バレ

スタジアムに居る幸せを感じている時間でも、ふと脳裏に甦る瞬間がある。クソみたいなオッサンだったことを。休みはしないが、仕事へのモチベーションが低く、楽しみといえば、帰り道のビール。友達も少なかったから、おもに「ひとり飲み」。

クソみたいというよりクソそのものだったと思う。内面にこもる思いを発散するためか、ブログみたいな感じの文章を書き始める。サッカー、いや、マリノスに出会った嬉しさを残しておきたい。いま考えれば、動機すら根暗である。

ただ、そのことがキッカケとなり、徐々に声を掛けてくれる方が増えてきた。長い間、当時は小学生だったウチの息子と2人での観戦であったが、一緒に観戦してくれる方もできた。Awayにもクルマ乗り合わせで遠征したりね。

けど「顔バレ」が嫌だった。あのブログを書いてるのは、あのオッサンか。生来の人見知りが発揮されていた。人と関わりを持つのが苦手。ひとりの時間が常になければ耐えられなくなる。
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いつの頃からだろうか。自分では制御が効かなくなるほどの仲間と知り合いを得た。スタジアムで声を掛け合う。平日でも飲みの誘いがある。Twitterという、ある意味での「知り合い製造機」の誕生もあるけどね。徐々に性格も変わってきた。

スタジアムで席につくと、周りの方へ「今日は(も)よろしくお願いします」と声を掛ける。得点が決まったら届く範囲の方と抱き合いハイタッチをする。試合が終われば「またお願いします」と声を掛け帰途につく。人は変われるものなんだなぁ、と。

本来は非日常であるはずのサッカーも、多くの人と挨拶をし声を掛け合うと、ここが日常なのかしら、と錯覚を覚えたりする。

お知り合いや仲間が幸せそうな顔をしていると、こちらも嬉しくなってくる。よく横浜に住んだな、よくマリノスと出会ったな、と偶然の必然を幸せに感じる。

だいぶ顔バレしてる実感はある。「きたせいさんですよね」と声を掛けられることも多い。なぜかね。

それでも、いまだ「顔バレ」は好きじゃない。このあたりは自分への自信のなさだと思うわ。

サッカーは人の性格すら変えることができる。おいでよ、スタジアムへ。




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